Performenとは of #021 PerformenIV~Inferno~

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Performenについて

Performenとは

「Performen」とは一種の英語はであるが、
「perform(規則的・持続的行動を成す)」+「men(者ども)」に由来する造語である。
なお、これは複数形であり、単数形では「Performan」となる。
「Performan」(以下パフォーマン)とは、ある一定の規則・システムに縛られ、延々と同じ動きを繰り返す「律動人型(リツドウヒトガタ)」である。

そんな人間はいないと思われるかもしれないが、考えても見てほしい。
朝起きて、新聞を読んで、ご飯を食べて、歯を磨いて、便所に入って、家を出て、電車に乗って、仕事して、帰って来て、ご飯を食べて、テレビを見て、風呂に入って、寝て、また起きる―。人は毎日、同じ事を繰り返す。それが当然であると思われるかもしれないが、まさにそれがプログラミングというものであり、パフォーマン的生態要素なのである。つまり、この社会の人間全てがパフォーマンたる可能性を秘めている。だがそれを実感できる機会は少ないだろう。なお、自分で自分をパフォーマンであると自覚できる事はまず無く、自分だけは純粋な人間種であると信じていてもパフォーマンである可能性は否定しきれない。後述するプログラミングは、自覚とは無関係に自我を支配するまさに絶対的宇宙真理であり、普遍の法則であるからだ。

「理」について

「Performen」では、「運命・奇跡・偶然」それら類の事を、言い換えて、森羅万象を支配するのは『理(レゴラ)』と呼ばれるプログラミングと、それを施行するシステムの事であると定義した。これは、この世に偶然や運命的という事象は何一つ無く、すべてはプログラミングされた当然かつ必然的事象しか存在しないという事を意味する。
どんなに偶然と思える出来事も、それには必ず元があり、人から人、人から社会、そしてまた人と縁を重ねる事で因果が発生する。どんなに自分が束縛を受けない自由な存在であろうとしてもそれは勘違いで、この世界で生きている限り、『理』の影響を受けざるをえないのだ。
「人は誰かに動かされていても、自分で動いていると感じる事が多い。」
大いなる錯覚である。それが人である事の悲しき宿命ともいえる。


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PerformenIVについて

律動人型パフォーマンは「単調さ」の体現者であると考えられる。
「PerformenⅣ」では人間社会でしばしば敬遠される「単調さ」を最もの善と価値づける。つまり『理』とは、時に「神」とか「運命」と呼ばれる創造主によって造られた律動人型が、その思惑通りに動き、考え、生活を送る為のプログラムである。
創造主は「単調さ」を最もの善と価値づけるがゆえに、「単調さ」を否定する者を憎む。単調で退屈な日常をただただ嘆く無力な人間。だが、生まれてから死ぬまで、毎日を繰り返し生きていくのは人間の本分である。日々事も無げに日常の連続を享受できる幸せに不満を抱く者は「Inferno」へ堕とされ、理不尽な「理」に未来永劫翻弄される事になる。「PerformenⅣ」は、そんな「Inferno(地下の牢獄)」と呼ばれる、「主」に反抗して敗れた律動人型の暮らす世界を見ながら、成長したセガレ―「カレ」が世界の底を探りにいく物語なき物語である。

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Infernoの入り口 アケローンの川